連載コラム

連載コラム:伊東道生の『<頭>で飲むワイン 』 Vol.10 2012.01.30

地下室のワイン

ドイツ語にKeller(ケラー)という言葉があります。容易に想像できるように英語のcellarと同じ意味です。フランス語ではcave(カーヴ)となりますが、独英仏共通に、「よいセラーを持っている」(einen guten Keller haben, have/keep a good cellar, avoir une bonne cave)という言い回しは、いずれも「いいワインの貯えがある」という意味です。フランス語の辞書をひくとcaveには、地下酒場という意味もあります。
今でもパリには、建物の地下にレストランやクラブ、バーなどがあります。19世紀のオースマンによるパリ改造で、猥雑とみなされた酒場は大部分壊されましたが、地下に酒場をつくるという発想は今でも続いているようです。ドイツでも例えば、ゲーテも訪れたとかいう(そういうところは随所にありますが)ライプツィヒ(Leibzig)のアウアーバッハ(Auerbach)のケラー(Großer Keller)は、地下のレストランです。日本のように地下街というのはないので、地下のレストランといってもイメージは異なり、建物の地下に大きくて、そこそこ高級なお店がある、という感じです。
 ところで、ヨーロッパ中世都市の三点セットといえば、城壁および門、街の中心地の教会、そして、教会の前の広場です。旧市街という形で、これが残っているのは各地にありますが、パリでも、メトロの駅でポルト・ド何とか、例えば、ポルト・ド・クリニャンクール(蚤の市のところです)というところは、ポルト(門)という名が示すとおり、城壁に設けられた門があったところです。
市民は、城壁内に住み、農作業を行う者は、教会の鐘の音で開いた門から外へ出て、森とその側の畑で収穫し、また鐘の音ととともに門を通って都市に帰って行きます。都市の外の森に住むものは、ならずもので、シャーウッドの森に住むロビンフッドもその仲間です。ちなみに森で狩猟したジビエを、森にある果実とともに木炭で-中国のように高熱を出すコークスがないので-<煮込む>のが、ヨーロッパの料理の原点ではないかと思っています。
 街の中心にある教会と広場は、キリスト教に関わる政治と広場で開かれる市場という経済が、具体的に空間で展開されているところです。近代以降、教会が壊されることもありましたが、教会の跡地、もしくはその横に市庁舎が建てられ、やはり政治と経済が視覚化されています。その市役所の地下には、大食堂があり、それは街一番のレストラン、名士の結婚会場にもなっていました。一時は衰退していましたが、現在、また復活しているようです。日本でもありますね。
 ドイツ・ロマン派の作家ハウフ(Wilhelm Hauff, 1802-1827)の作品に、Phantasien im Bremer Ratskeller, ein Herbstgeschenk für Freunde des Weines (1827)というのがあります。直訳すると、「ブレーメン市庁舎のケラーでの幻想、ワインの友(ワイン愛好家)への秋の贈り物」となります。ドイツ語で、市庁舎をRathaus(ラートハウス)といいますが、Ratskeller(ラーツケラー)というのが、その市庁舎にあるケラーです。この作品では、ケラーは食堂というよりは酒場です。ハウフ自信、実際にブレーメンを訪れたときに、「薔薇」(ローゼRose)とか「十二使徒」(アポステルApostel)というワインの秘蔵の試供品を振る舞われ、それがそのままこの作品に出てきています。
 内容は、原題のとおり、地下のケラーでワインを飲んでいると幻想をみるというものです。表題と並んで掲げてある文句は、シェークスピアをもじって「よいワインは人付き合いがいいやつで、誰でも一度は夢中にならされる」。言い得て妙です。
 夜も更けて、主人公がケラーに行くと、老給仕がポケットから小さいビンを取り出すので、「樽からじかに飲ませてもらえると言われたのに」。「樽から直飲みするのが、本当の楽しみなのに」と文句を言います。A.デュマの『三銃士』でも、樽から直飲みするとかいう場面が出てきますが、18世紀や19世紀初頭では、レストランや酒場に樽があって、いいワインを飲むときは、そこから、ということだったのでしょうか。グラスは、ドイツワインおなじみのレーマー(Römer)です。1世紀はたっている1726年のリューデスハイム、1718年の聖ヨハネやニーレンシュタイン、ビンゲン、ラウベンを賞賛し、その香りは「木々と野から百の花を摘み、インドの香料を持ってきて、龍涎香をまき、琥珀を青い雲のように打ち砕き、蜜蜂が花から蜜を集めるように、もっと精妙な香りを混ぜ合わせても」、それを上回らないという、いやはやたいそうなものです。今なら、さしずめ、50-60年代ころの香り全開のリースリングでしょうか。しかし、「古いものは尊重するが、今自分が生きている時代にも敬意を」、と1822年のラインが、レーマーに注がれます。
 主人公のみる幻想には、使徒たちと薔薇の精の婦人、バッカスが登場します。バッカスが婦人に言い寄ると「お尻の軽いボルドーさんや、なまっ白い顔のシャンパーニュさんとよろしくやっているのでしょう?」とかわされます。さらに「浮気の噂は、もっとあって、甘ったるい浮かれ女のヘレスさんやデンティーリャ・ロータさんやヒメネスさんとの噂はどうなの?」と追求されます。
 後半には、ローランも登場します。ローランは武勲詩『ローランの歌』で有名な、カール(シャルルマーニュ)大帝に仕えたブルゴーニュ辺境伯です。ハンガリー、スペイン、イタリア、ブルゴーニュ、シャンパーニュ、ロートリンゲンに人をやってブドウの苗木を取り寄せ、ライン河畔に植えた、とカール大帝とラインワインを称えます。
 フランスやスペインのワインに押され気味のラインワインへの賛歌というのが基調になっています。ドイツワインの不人気は、19世紀初頭に、早くも現れていたのでしょうか。
 この短編は、『ドイツ・ロマン派全集 ハウフ、メーリケ』国書刊行会に、前川道介氏の訳で「ぶどう酒奇譚」として収録されています。