連載コラム

連載コラム:伊東道生の『<頭>で飲むワイン 』 Vol.15 2012.07.18

ワインをつめる・・・mise en bouteille・・・

 Mis en bouteille au château、Mis en bouteille au domaine、Mis en bouteille à la propriété (シャトー元詰め、ドメーヌ元詰め、所有者元詰め)といった表示を、ワインのラベル(エチケットétquette)に見ることは普通というか、むしろ当然のこととして、今となっては見向きもされませんが、古典となった(?)アレクシス・リシーヌの『フランスワイン』には、まだ一般的ではなかったシャトー元詰めを、生産者にすすめた話がでてきます。
実際には、1920年代、バロン・フィリップ(ムートン・ロートシルト)の提案で、ボルドーではじまり、リシーヌやスクーンメーカー等が後押しをして、ブルゴーニュでもドメーヌ元詰めをすすめていったというのが現状です。 メドック全体には、1970年代にしてようやく広まります。1924年のムートンのラベルには、最初の表示がされています。

 ADVの講座「フランスワイン最新事情」でも紹介したのですが、ワイン雑誌La Revue du vin de France (No 562 juin 2012)に、読者からの投稿で、Petrusのラベルについての質問が載っていました。
おなじみのラベルではなく、ずいぶん変わったものです。RVFの回答では、ベルギーのネゴシアンnéociantによって瓶詰めされた本物で、1970年と1953年ものに、通常のものとは異なるラベルのものがあります。

 リシーヌの本には、60年代にポムロールを、グレース・ケリー(今の人は知らないかなあ)とアメリカに売りに行った話も出てくるので、70年代やそれ以前は、ネゴシアンまかせのところも多かったのでしょうね。
 私的な話で恐縮ですが、80年代後半にフランスにいたときでも、ペトリュスはともかく、コンセイヤントやトロタノワなどのポムロールの多くが、まだ知名度も低いのか、今からは信じられない値段で、毎日飲んでいた覚えがあるくらいです。いわゆる、スーパーセカンドがでてきて、その影に隠れていたせいもあるかもしれませんが。・・・今昔物語です。

 ネゴシアンがらみでいえば、ポーイヤックのポンテ・カネChâteau Pontet CanetとネゴシアンのクルーズCruse社の偽装を思い出します。クルーズ社は、長い間、ポンテ・カネを所有していたネゴシアンでしたが、ポンテ・カネの偽装をしたというスキャンダルが、1972年にもちあがりました。
 クルーズ社は、フランス国鉄SNCFに、ポンテ・カネを提供し、パリ-コートダジュールのle Train Bleu(トラン・ブルー、つまりブルートレイン。ちなみにこの名のレストランが、パリのリヨン駅にあります)の寝台車のレストランで提供され、Liebfraumilchリープフラウミルヒ(聖母の乳)ならぬ、眠る聖母の血(le sang des madones des sleeping)と呼ばれていました。
 最後の晩餐で、イエスは、ワインをわが血、パンをわが肉と宣言しますが、この晩餐がミサの原型です。ミサでは、聖なる血Précieux Sangであるワインが供されるので、聖母の血という表現もでてくるのでしょう。
 フランス国鉄では、ヴィンテージ表記なしで、ポンテ・カネとだけ記載され、売られていましたが、72年に偽装が発覚。それが、ボルドーワイン事件l’affaire des vins de Bordeauxです。得られたお金が、ボルドー市長でありフランスの首相であったシャパンデルマス氏への献金にも使われたとか。
 ネットでは、1975年の訴訟で、クルーズ社のブレンドとラベリングに怠慢があると分かり、同社はポンテ・カネを売却するよう命令を受けた、と穏やかな表現で流通しています。
 今ではRVFで、三つ星の評価をうけ、ビオディナミ農法も行っているポンテ・カネですが、不幸な歴史があったわけです。
 
 偽装といえばインドネシアのワインコレクター、Rudy Kurniawan が自身のコレクションを偽造してFBIに逮捕されたということです。実在しない1929のClos-de-la-Rocheを含め、1300万ドルの偽物を売ろうとしていたとか。
 なんとも情けない話です。