連載コラム

連載コラム:伊東道生の『<頭>で飲むワイン 』 Vol.58 2016.04.23

ワインと自転車とコノス(ゥー)ル

 競技や祭典があるとオフィシャル・スポンサーがつくのはよくあります。マラソンに自動車メーカーがスポンサーとしてつき、売り出し中の自動車をオフィシャル・カーなどとして提供します。フランスで夏の最大イベントの一つであるツール・ド・フランスも例外ではありません。昨年の第一ステージではジャガーF-Paceのプロトタイプがオフィシャル・カーになっています。
 自動車ばかりでなく、ここが商売とばかりに、ツール・ド・フランスにはオフィシャルグッズなるものがいっぱいあります。ウェア、鞄、帽子、タオルをはじめ数々の小物類があり、オフィシャル・ミッフィーなるものまであります。フランスならでは、ということでオフィシャル・ワインもあります。ところが何と、そのワインに2014年からチリ産!のワインが指定されています。
 そのワインは「コノ・スル」というドメーヌのもので、英語のHP (http://www.conosur.com/) では、1993年に創立されたCono Sur Vineyards & Wineryという名称になっています。ニューワールドのプレミアムで革新的ワインづくりを目指すという目標が掲げられています。コノ・スルの生産するワインのうち Bicicleta というキュベがオフィシャル・ワインで、フルーティでしかもコノ・スルの革新性をもっとも表現していると主張しています。Bicicleta とは文字通り「自転車」を意味します。(由来は分かりませんが、HPのビデオでも自転車で葡萄畑をまわる様子が映っていますし、自転車愛好家なのでしょうか。どなたかご存じなら教えてください。)しかも12種の品種、それぞれでBicicleta を名乗るワインがあります。ソーヴィニオン・ブラン、シャルドネ、ピノ・グリージォ、リースリング、ヴィオニエ、ゲヴルツトラミネール、ピノ・ロゼ、ピノ・ノワール、メルロ、カルメネーレ(もとはボルドーにあったセパージュですが、いまではもうチリや一部イタリアでしか見られなくなりました)、シラー、カベルネ・ソーヴィニヨン、と実に多くの葡萄から生産しています。ラインアップは、それ以外にも、オーガニック、20樽限定、レゼルヴァなど8種類。2000haも葡萄畑があるそうなので、これだけ生産できるのでしょう。
 いろいろな紹介を参考にすると、コノ・スルという名称は、南米大陸の南部の形が円錐形(コノ)の地区の南(スール)に位置するところから来ているとのことですが、音が似ているので、ついコネスゥールを連想します。
 コネスゥールとは、フランス語のconnaisseur (時に古い綴りでconnoisseur となることもあり、英語でもこの語をそのまま使っています。)の音をそのままとったもので、玄人、目利き、鑑定家、通(つう)などを意味します。たとえば、「食通だ」というのは、connaisseur en bonne cusine などと言います。フランス語に類似した意味でアマトゥールamateur という言葉があります。アマチュアの意味もありますが、愛好家という意味で使い、amateur de vin はワイン愛好家になります。コネスゥールも、ワインの辞書では、醸造学について科学的知識をもたないし、ソムリエやその他の専門家のように職業としての知識を持っていない人を指し、学者のような知識と言うよりも文化人のマナーに近いと記しています。(M.Chatelain-Courtoi, Les mots du vin et de l’ivresse, Belin, 1984参照)
 実は、この語はともに芸術の評価、判定に関わるところからきています。ヨーロッパでは、17世紀末から18世紀になると、芸術や文学のありようが変わってきます。そもそも絵画、彫刻、音楽、建築、文芸をひとまとまりに、芸術とみなしたり、とくに絵画や彫刻を造形美術と見なしたりする見解は、この頃現れます。教会や宮廷、貴族のサロンに閉じ込められていた芸術が、近代化にともなう市場形成のおかげで、芸術作品が商品としての性格を示し始め、貴族のみならず富裕層、公衆の愛好や批評の的になっていきます。18世紀末の『美術事典』では「美術愛好家 (amateur des beaux-arts)は一世紀前にはほとんいなかったが、今日ではありふれた存在になっている」と記されています。またたコネスゥールは、先のワイン辞書にあったように、もともと17世紀には知的階層であった紳士(フランス語では「オネット・オム(honnête homme)」といいます)のような人文主義の教養をもち、洗練されたマナーや社交術をそなえた人物を指していたのが、やがて愛好家と同じように、特定のジャンル、特に絵画や彫刻で、その趣味と知性が際立っている識者を指すようになります。このあたりの事情は、ワインも似ていて、修道院と教会、宮廷のワインが商品となり市場に出回りつつあった時期、そしてレストランが現れ、食批評が出てくるのも同じような時期です。(この辺の事情をお知りになりたければ、立花峰夫氏との共著連載中『ワイナート』所収「味は美を語れるか」をご参照ください。)
 それはともあれ、このコノ・スルは、コネスゥールとしての愛好家でもあり、葡萄栽培や醸造の科学的知識、マーケティングの知識などをもった若者たちのグループのようです。1995年には早くも合成コルクを導入し、2002年にはチリで初めてスクリュー・キャップを導入したとのことです。さらに企業システムの「ISO国際標準化機構」の認証と、有機栽培を通じて、二酸化炭素排出削減に取り組み、カーボン・ニュートラル・デリヴァリーなる認証-コノスル・ワインが世界各国に輸送されていく際に排出されるCO2が、実質ゼロ-を受けているそうです。こういうグローバルな視点が受けたのかもしれません。なにしろツール・ド・フランスも都会ばかりでなく、山岳地帯や森を抜け、自然の中を走り抜けますからね。
 しかし黙っていられないのが、フランスの生産者たち。これもよくわかります。南フランスラングドック地方にあるオード県(世界遺産のカルカッソンヌがあります)の葡萄栽培業者が、農業大臣に抗議文を送り、4000の葡萄栽培者の代表フレデリック・ルアーヌは「政府とツール・ド・フランスの組織は互いに賛成しているが、その合意は我々には無関係だ。フランスではワインは聖なる物だ、ツール・ド・フランスもワインも文化とスポーツの遺産を作っている、そのツール・ド・フランスでフランス以外のワインが選ばれるのは耐え難い」と、反対声明を挙げています。予定では7月13日頃。カルカッソンヌからモンペリエへ向かうルートとして、この地を通ります。ずいぶん前マクドナルドが開店するのをトラクターなどで実力行使をして、阻止するくらいフランスの農民は血気盛んなのですが、今回ばかりはどうでしょうか。フランスの法律ではスポーツの協賛や公告にアルコール製品が登場することを禁じていますので、話はさらに複雑です。はてさて、どうなるやら。