連載コラム

連載コラム:伊東道生の『<頭>で飲むワイン 』 Vol.22 2013.02.12

ワインのトレーサビリティ?

ディック・フランシスという作家がいます。一連の競馬をテーマにしたシリーズの-必ずしもそうではないのですが-ミステリーで有名です。ディック・フランシス自身はもう亡くなっていて、最後のほうに共著をしていた息子フェリックスも、シリーズを続ける様子はなく、残念です。本は、ハヤカワ文庫として出版されています。
 そのシリーズの中に『証拠』というのがあります。現代はProof で「証拠」と訳されていますが、もちろん蒸留酒のアルコール度を指す「プルーフ」と引っかけています。
 ワイン商を主人公に、偽ウィスキーや偽ワインを巡る事件がおきます-1977年産のサン・テステフ、サン・テミリオン、ヴァルポリチェッラ、マコン、ヴォルネイ、ニュイ・サン・ジョルジョの中身がすり替えられ、同じワイン-イタリア、フランス、ユーゴスラビア!産のワインが口当たりよく混合されている。その犯罪を暴いていく、というのがストーリーです。原著は、1984年の出版。邦訳は1990年で、まだワインについての知識が今ほど広がっていない時代です。そのため解説は、山本博氏が、ワインなどの用語説明とともに担当しています。
 そのなかの一説に、犯罪動機を語る手がかりとして、このようなことが語られています。
「以前は、我々が(ワインを)フランスで積み込んでこの近く(イギリス)のシッパーに直接届け、彼ら自身が瓶に詰めていた。かつては、ワインの扱い量がはるかに多かったが、今ではフランスで瓶に詰める所が多くなっている。こちらの瓶詰め工場は、別の仕事を見つけるのに苦労している。彼らにとっては苦難の時代だよ。休業する所が増えている。」
 
 17世紀にサミュエル・ピープスの日記に出てくるオー・ブリオンがシャトー元詰めmis en bouteilles au châteauの最初と言えるのでしょうか。アレクシス・リシーヌは1960年代に「自分が元詰めをすすめた」とか、1920年代半ばにムートンが提唱したとか、いろいろありますが、メドック全体は70年代とも言われています。そういう元詰めが、他にも広まって、イギリスの瓶詰め会社が、仕事を失い、金をかせぐ手段としてワインの偽造をする、というのがこのミステリー『証拠』の背景にあるわけです。
 上の引用にでてくるシッパーとは、ネゴシアンのことで、当時は基本的にネゴシアンがワインを樽で買ってきて、それを瓶詰めして売っていたので、偽ワインという悪質な行為も可能になっていました。今は、きわめて評価の高いシャトー・ポンテ・カネPontet Canetは、ネゴシアンのクルーゼ社の所有でしたが、クルーゼ社が1973年に偽ワインを作って、政治献金をした事件があったので、この小説のモチーフも、ここからきているのかもしれません。なんと言ってもロンドンはボルドー・ワインのメインの市場ですから。

 しかし、ブランド名と異なるワインを混ぜるという不法なことは除けば、よく考えると、ワインのブレンド自体、例えばAOCボルドーは、当該地区のワインをネゴシアンの責任で混ぜるわけですし、別に異常なことでもなく、むしろふつうのことと考えた方がいいのかもしれません。近年は、テロワールの表現やら葡萄の出自やら、やたらに純粋さを持ち上げすぎるという気もします。もちろん、それが悪いわけではありませんが、ワインを農産物にひきつけてとらえるか、それから少し距離をとって、あくまで製品という観点からとらえるかの違いなのかもしれません。その典型がシャンパーニュでしょうか。以前のコラムに引用しましたが、シャンパーニュのポール・ロジェの二代目モーリスMaurice Pol-Rogerの、「葡萄は葡萄栽培業者のもの、ワインはネゴシアンのもの」という言葉も、それを裏付けます。
 要は、ワインの品質をどういう形で保証するかでしょうね。シャトー名、元詰め、ネゴシアン等といったシステムが基本的にその役割を背負い、法律もそれを支えている。今風に言うと、食品のトレーサビリティを、シャトーやドメーヌ、ネゴシアンが負っているわけです。最近、ヨーロッパで、100%牛肉の表示の食品に、馬肉が混入していて、そのトレーサビリティは、どうなっているのか、と問題になっていますが、製品が産業化に飲み込まれ、大量生産されると、どうしても生じることなのでしょう。

 ところで、元詰めのシャトー名ほどではないですが、ある程度、このトレーサビリティを保証していた「シャトー」や「クロ」といった言葉や概念自体が、転換期にきているようです。先々月号のLa Revue du vin de France,(N.567) によると、 »château » や »champagne » , « sherry», «port» の語がアメリカで使用されるようになって、フランスの生産者を悩ませているとか。
 オバマ大統領の再任式でも «Korbel Natural, Special Inaugural Cuvée Champagne, California» が登場して、新聞記事にもなっています。コーベルはスパークリング・ワインの人気ブランドで、就任記念キュヴェは、ソノマ郡ロシアン・リヴァー・ヴァレーのピノ・ノワール65%とシャルドネ35%から造られているそうです。(2013年1月11日 読売新聞
 表記の最後の部分が問題で、基本的には 、まず単独で、»champagne » の表記はだめ。しかし、カリフォルニアという産地とくっつける限りは認める、ということです。
 言い換えると、«Champagne de Californie, Champagne américain, Champagne de New York» は使用可能ということです。 日本でもそうですが、「シャンパン」が産地を表す固有名詞ではなく、発泡ワインを指す一般名詞のように使われていることを前提しているから、こういうことがおきます。シャンパーニュ地方の作り手は、品質保証として表示しているので、腹立たしいことでしょう。
 かつて、DiorがChampagneという名の香水をだして、すぐにシャンパン業者の抗議で生産中止となりましたが、「讃岐うどん」が、中国で商標登録になっているように、シャトー名も、どこかで商標登録になっているのでしょうね。
 ワインは農産物なのか、産業製品なのか。どちらを強調するかの視点も考える必要があるようです。