娘シャーロットちゃんの名前を付けた瓶内二次発酵のスパークリングワイン。品種由来のフルーティな香りと果実味が際立っていますが、とても洗練されており、完成度が高い味わいに仕上がっています。
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一代、約30年で「ドイツのDRC」と呼ばれるまでに成長させたフリードリッヒ・ベッカー・シニアさん
ファルツ最大の協同組合醸造所会長のご子息だった、現当主のフリードリッヒ・ベッカー・シニアさん(写真右)。伝統ある協同組合を引き継ぐことを拒み、周囲の反対を押し切って1973年にわずか4ヘクタールで立ち上げた醸造所です。もともとは300年にわたり、代々ワイン生産を行なっていたベッカー家ですが、戦後の荒廃から立ち直る手段として、ベッカーさんのお父さんが私財をなげうって協同組合を設立。いわば地元の英雄の家系なのですが、その子孫の選んだ道は決して祝福されての旅立ちではありませんでした。
その当時、南ファルツ産の大半が甘口の白ワインだったため、フランスのブルゴーニュのような、辛口の赤、ピノ・ノワールを造ると宣言しての独立に対して、周囲の反発は相当なものだったそうです。そんなベッカーさんを支えたのは1965年に初めて訪れたブルゴーニュでの体験でした。当時まだ17歳だった彼はクロド・ヴージョを訪れ2本のワインを購入。帰りのバスで封を開けて飲んだ時の、衝撃的な味わい。さらに何度もブルゴーニュ訪問。土壌が石灰質であることを知り、自分の村もまさにそうであることから「いつかこのような素晴らしいワインを郷土で造ってみせる」と決意しました。彼がまだ20歳になる前のお話です。もう一つ彼を勇気づけたのはアルザス側のヴィーゼンブール教会が15世紀当時、隆盛を誇り、この地で生産されていたピノ・ノワールやリースリングが名声を誇っていた史実でした。
19歳になり、家庭を持ち、1967年に轟々たる反対の声に憶することなくカマーベルク(VDP認定グラン・クリュ)を購入。自分で育てたクローンのピノ・ノワールを植えたのです。醸造所としての独立は1973年。当初は、他の農家から「ベッカーのぶどうは酸が強く、すっぱくて不味い」と言われ続けました。しかし、自分の信じた道を貫き通した結果、1989年ヴィンテージのピノ・ノワールがワインガイド「Vinum」において最優秀赤ワイン賞を受賞しました。実に苦節16年。今ではドイツで一番権威のある ワインガイド 「ゴーミヨ」 にて、2001年から2009年ヴィンテージにおいて、8年間連続、最優秀赤ワイン賞を受賞。 彼一代、約30年で、「ドイツのDRC」と呼ばれるまでに成長しました。
現在、彼の生産するワインはシュペートブルグンダー(=ピノ・ノワール)をはじめ、ドイツ国内のみならず、世界中で名声をほしいままにしています。醸造所発足当初は全く別のエチケットを使用していました。懇意にしていたザンクト・パウル城の城主さんとのおつながりで、その地を訪問していた芸術家に醸造所の話をした際に書き下ろしてもらったのがこのきつねのエチケットです。かわいらしい「すっぱいぶどうときつね」のエチケットにはそんな苦難の歴史が込められています。
2代目当主フリードリッヒ・ベッカーJr.さん
カリフォルニアのオー・ボン・クリマや、ヴァッハウのクノルなどで修業。2005年に実家に戻り、父とワイナリーの共同経営者となり、現在は醸造の全てを引き継いでいます。地元の若手ワイナリーとの交遊も深く、彼がプロデュースしたセカンドラベル「クライネン・フリッツ」シリーズは毎回あっと言わせるお値打ちワインです。現在二児のお父さん。日本に来る楽しみの一つはラーメン屋さんめぐりだとか。
すっぱいブドウの話
お腹を空かせたきつねが歩いていると、おいしそうなぶどうが枝から垂れているところに通りかかりました。きつねはどうにかしてぶどうを取ろうと、爪先立ちをしたり、飛び跳ねてたりしてみたものの、どうしても取ることができません。しばらくの間ぶどうを眺めていたきつねが言いました。「ふん、あんなぶどう美味しくないや。まだ、すっぱくて、食べられやしない」ぶどうを睨みつけると、そのままどこかへ行ってしまいました。 『イソップ童話』より
(インポーター資料より抜粋)